ものがたり

2017年4月15日 (土)

昔々。

昔々、と言っても、そんなに昔のことではありませんが、
1人の吟遊詩人が居りました。
皆さんもご存じの通り、吟遊詩人とは歌と物語を道連れに、
いろんな国々を周りながら、その技で人々を楽しませることを生業にしている人たちのことです。

でも、実は彼らが好き勝手に諸国を廻っていたわけではありません。
彼らにも彼らの縄張りがあって、廻るルートがおのずと決まっているのです。

この吟遊詩人の男も、いつもの街道を、
いつものように、竪琴を背負って歩いておりました。

と、どういうわけか街道は通行止めになっています。
おやぁ〜どうしたんだろう、と行き交った牧夫に聞くと、
この先の橋が落ちてしまって、向こうの国に行けなくなってしまったというのです。
それは不便ですね! と男が言うと、
牧夫は、なぁに南の国に行けば良いだけだから大して不便じゃねぇさね。
確かに北の国より南の国の方が、少し遠いのですが大きくて栄えています。
いつもより少し早く起き出して向かえば、その日のうちに南の国に着くのです。

お前さんもそうしなよ。その方が、稼ぎが良いだろうよ、
と牧夫は、男の背中に背負った竪琴に目をやりながら言いました。
そうですね、と吟遊詩人の男は応えたものの、
内心、どうしようかなぁと困ってしまいました。

そうなのです。
先ほども話したとおり、吟遊詩人には縄張りがあって、
南の国は、男の縄張りではなかったのです。
もし縄張りを越えて、演奏したり歌ったりすると、
シマ荒らしとして、同業者から爪弾きにされたり、
ヘタを打つと私刑に遭ったりするのです。

それと、南の国は歌が盛んで、訪れる吟遊詩人たちもみな喉自慢、声千両ぞろい。
もちろん、男の声もなかなかなのですが、実は、すこぶる音痴だったのです。
男が得意としている『語り』は南の国ではあまり受けず、
物語好きな人の多い北の国でこそ、男の真価は発揮できるのでした。

そろそろ路銀も心許なく、ここいらでパッと稼ぎたかった男は、
仕方なく旧道に出て、その後で丘を越えて、
河の上流にかかった古橋を渡ろうと決めたのでした。

季節は春。今は寂れて人も通らない旧道歩きでしたが、
路傍には花が咲き、鳥も囀り、風も上々。
思いの外楽しく、疲れもなんだか心地よいものでした。

暫くすると丘を越え、森に入りました。
緩やかな山道で、新緑間近の木々の木漏れ日が、キラキラと輝いています。
暫くして、少し喉が渇いた男は水を求めて沢に降りました。

街を流れていたゆったりとした河は、すっかり清流となり緩やかに曲がっています。
ごく浅い淵には水晶の様な水がたゆたい、
水底の水草が、まるで先ほど通り抜けた丘の草原のように透き通って見えています。
水面に影を落とす木々たちには、白い小さな花が咲いていて、
男は、なんという花だろうと見上げました。
もちろん、その根元にも愛らしい花が幾つも咲いていて、
鳥の声が、女王さまの胸飾りに散りばめられた宝石のように辺りに木霊しています。

ああ、なんて美しいところなんだろう。

荷物を下ろした男は、顔を洗い口を漱ぎ、
手頃な石に腰掛け、靴を脱いで足を水に浸しました。
冷たい水に、疲れが溶けていくようでした。
暫くして、男の心にふと素敵なメロディが浮かんだので、
さっそく竪琴を抱えて爪弾きはじめました。

どれほど経った頃でしょう。
男がそれなりに満足のいく短い旋律を1つか2つ出来たとき、
水がパシャリと跳ねたような音がしたのです。

魚かな、と男が竪琴から顔を上げると、
なんと浅瀬に、それはそれは美しい乙女が立っていたのでした。
木漏れ日に透ける髪は蜂蜜を溶かしたようなの金色で、
水色の瞳は、なにか楽しいことを見つけたの子供のように輝いていて、
少し上気した頬に、唇は桜草。
纏っている白いドレスは質素そのものだったのですが、
それが却ってしなやかな身体と、すらりと伸びた脚を引き立てています。
乙女は、男が今まで見たどの女性よりも美しかったのでした。

見とれる男に、乙女は無邪気に笑うと、
素敵な曲が聞こえるから見に来たら、あなただったのね、と涼やかな声。

頷く男に、乙女は、どこから来たの? それはなんていう楽器なの?
なぜこんな所にいるの? と訊いてきました。

男の答えに、乙女は近くに座り込んで楽しそうに頷きます。

じゃあ、あなたはたくさんお話を知ってるのね!
この森の外のことも、この川がどこへ続いているのかも!

その笑顔があんまり愛らしかったので、男も上機嫌になって話しました。

次はお話! なにかお話して! 楽しいお話が好き! でも、切ないのも好きよ!

男は、ついぞこの前仕入れた不思議なお話を1つ、
そして昔から知っている外国の悲しい恋のお話を1つしました。

凄いわ! 本当にそんなことがあるのかしら! 
それになんて可哀想なのかしら!

乙女はパチパチパチと大きな拍手をして喜びました。

そして、ねぇ、あなた、お腹すいていない? と言うと、
乙女はどこからか、立派な桃を取り出しました。
ちょうど小腹が空いていた男は喜んで受け取り、薄皮を剥いて齧りつきました。
その桃の甘いこと、甘いこと。こんな桃ははじめてでした。

食べ終わると、乙女は、ねぇ、まだお話してくれる? とせがんできました。
男は、指を川で漱ぎながら、お望みとあらば喜んで。
当方の頭には、お話が2、300入っておりますゆえ、といつもの台詞を口にして
竪琴をポロロンと鳴らしました。

幾つ話したでしょう。幾つ奏でたでしょう。
森に入ったのはいつだったでしょうか。沢に降りてから何刻経ったでしょう。

弦を弾きながら、男は気づきました。
白い花をつけた木の下に咲くのはブルーベル。
その奥にはスイカズラ花と、たわわに実った黒イチゴ。
沢を泳ぐ鱒には、緋色の婚姻色が現れ、
向こう岸に水を飲むためにやって来た牡鹿には、大きな角があります。
けれど、水面に木漏れ日をもたらす木々たちの葉は、柔らかい新緑の色!
ここには春夏秋冬、四季が入り乱れているのです。

男は、あなたの名前は? と訊ねました。
すると乙女は、ニクセンよ、と答えました。
そして男は気づいたのです。乙女のドレスの裾が、
水でしっとりと濡れていることに。

それから、この吟遊詩人の男が、森から出てきたのを、
川を渡って北の国に行ったのを見た者も、聞いた者もいません。

昔から、水清らかな川には、水の乙女が住むと言います。
彼女らは音楽を愛し、ときおり、気に入った男を水の世界に誘い、
そこにとどめ置いて愛を注ぐと言います。
今でも、その沢では時折、竪琴の音が聞こえると言います。
吟遊詩人の男は、もしかしたら今でも乙女と川辺にいるのかもしれません。

高畑・クリスチーネ・吉男作 連作・水の乙女より

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